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所長青春回顧録

「青春」という言葉を辞書で調べると「人生の希望にもえ、若く元気な時代」と書かれてある。
この解釈に少し反感を覚える。俺は、今年で54歳になる、もうすぐ孫もできる、決して若いとはいえないが、人生の希望にもえ、元気である。
ゴルフではドラゴン狙いで飛ばしたいし、柔道をしても若い者にはまだまだ負けてたまるかとがんばっている。少し空元気と言われるかもしれないが、俺は思う、それぞれの年代で、それぞれの青春時代があり、その時々に情熱に燃え、元気に過ごすこと、それを青春と考えたいものだと。
そこで、それぞれの年代で、これが俺の青春だったのかと思うことを書いてみることにした。

これが青春だったの?(10~20代)

野球が大好きだった俺は、甲子園に憧れ中学では、野球部に入部した。ところが、部活ではよくある先輩からのシゴキ。喧嘩に自信のあった俺は、ずいぶん殴ってしまい、即野球部を首になってしまったのだ。
そこで力を持て余した俺は、喧嘩大将になってしまった。ところがだ、柔道部の先生が俺を拾ってくれたのだ。そこで俺は大変身した。その先生は180センチ以上の大男、もう一人空手で世界選手権に出場したことがある先生の二人にシゴかれたというか鍛えられたというか、毎日地獄のような練習をした事を覚えている。
おかげで喧嘩はしなくなったし、柔道も強くなり、性格も少し温厚になったのかな?二人の先生には感謝している。高校は、その時代の柔道の名門校「敦賀高校」に入学、あこがれて入った柔道部、ところが、その顧問の先生、とんでもない怖い恐怖の先生だったのです。ニックネームは「赤鬼」怒ると真っ赤な顔になるのだ、その先生に教えられた言葉で「精力善用自他共栄」と「文武一道」。「精力善用自他共栄」は後で述べるとして、「文武一道」については、先生いわく、柔道も勉強も一つの道、柔道を真剣にやれば当然、勉強もできるようになると言われた。でも、勉強する時間はなかった、休みは試験前だけ、土、日曜日は当然、正月も練習、修学旅行などの学校の行事にもほとんど参加した記憶がない。学校には勉強でなく柔道をしに行ってたという認識のほうが強かったね。
高校を卒業してからも、柔道一直線は続いた。週3回警察道場での練習、休みの日は母校での練習と、いつも大会目指しての毎日だった。時々思う、俺の青春何だっけ?柔道そのものが俺の青春だったのかと。

税理士試験勉学時代(30代)

税理士受験勉強を本格的にはじめたのは、30歳を過ぎてからだと記憶している。自分の柔道の練習を自粛し、私の子供も小学生となり柔道を始めたので少年柔道の指導をすることにした。
子供たちも鍛えたねえ、自慢できるのは、10年連続で全国少年柔道大会に出場し、その指導機関である、敦賀地区柔道協会が文部大臣表彰を受けたこと、これが最高の喜びだったなあ。
こんな子供たちに励まされ、長い受験生活だったが、昭和63年12月に税理士合格の通知を受けることができた。このとき、柔道協会で合格祝賀会をしてくれたねえ、大変ありがたいことだ。柔道恩師からも、祝賀会の際に「文武一道」と書いた1枚の色紙を頂き、涙したことを覚えている。

税理士業務時代(40代~現在)

今までの柔道一直線から税理士業務一直線といきたいところだったのですが、合格を待っていたかのように、柔道協会の事務局長の席がきたのですね、これは大変でした。子供から学生・一般大人まで柔道に関するすべての運営管理、6年間やりました。ようするに柔道と一生付き合っていけということみたいですね。
6年といえば、TKC北陸会のシステム委員長も今年で6年目、税理士会の広報部も6年間勤めました。どうも6という数字に縁があるようです。

おわりに

思いつくままに、昔を思い出しながら書いてみましたが、すべてが自分の人生に影響を与えてくれた人物が出てくるものだと再確認しました。
私にとって柔道が与えてくれたこと、それは計り知れないものです。柔道が私を育ててくれたと言っても過言ではないでしょう。
最後に「精力善用自他共栄」という言葉を紹介して終わりにします。
講堂館柔道の創始者、嘉納治五郎先生は1922(大正11)年、「精力善用が柔道であり、柔道修行者の理想とする境地は自他共栄である」と宣言し、それを次のように説明した。「精力善用とは心身の力を最も有効に使用する道であり、これは技術に存する根本原理であるとともに、世の各般の事をなすうえの原理とする。精力善用を社会的生活に及ぼすとき、互いに相助け相譲り、自分と他人とがともに栄えるという自他共栄の原則によらねばならない。この境地は天神合一、物我一体といった大和の精神に通ずる軌道最高の境涯である。」

TKCほくりく(2003年5月1日/第218号)に出典作品より掲載